人のためになることをするのは気持ちのいいことです。
思わぬ自分の知識や能力、気遣いが人の、特に
好きな人のためになり、その人に笑顔で「ありがとう!」と
言われるのはとてもうれしいし、自分に自信が持てます。
では、人のために「犠牲を払う」ことはどうでしょうか?
なかなか、「犠牲を払った」経験のある覚えのある人は
少ないかもしれません。
「犠牲」という言葉には重い響きがあります。
自ら苦しい思いをして、他人の利益のために身を捧げる、
という行為だからです。
しかし、この行為を日常的にしている人がいます。
親、恋人、友人のために自分のしたいことや言いたいこと
我慢して、自分が耐え忍んでいる人です。
中には自分が耐え忍んでいることをおくびにも出さない
上級者もいます。そして自分の精神がだんだん苦しく
なっていくのです。
ある日、自分が犠牲を払ったのと同じ程には感謝して
くれない相手に業を煮やして、
「私はあなたのために○○して、○○して、○○を我慢してきたのよ!」
と訴えないといけない状況になるかもしれません。
しかし、ほとんどの場合、相手の反応はこうでしょう。
「あなたがそんなに我慢しているなんて気づかなかった。
喜んでやっていると思っていた。」
と、知らない間にうらみをつのらせているあなたに
相手は困惑し、傷ついたり怒ったりするでしょう。
そうなんです。
犠牲を払う、という行為は報われないものなのです。
もし相手が1しか要求していないところを、
あなたが「犠牲を払って」5も差し出してしまうと、
1.犠牲を払うという関係に慣れていない人は
「なんだかこの人重いな」と思いあなたを敬遠します。
2.人を利用するのに慣れている人は、「この人面倒見いいな、
ラッキー」と次々にあなたに要求するようになります。
3.相手も犠牲を払うタイプの人だと、相手は、あなたに同じ
くらい「犠牲を払って」お返しをしようとします。この
関係は一見対等のようですが、二人とも苦しみながら
お返しをし続けるので、楽しい関係にはならないのです。
じゃあ愛する人の為に尽くすって報われないことなの?って
反論されるかもしれません。
人の為に何をするか、というのが問題ではなく、
あなたが人に与える時に何を思っているか、が問題なのです。
「この人が喜んだ顔を見るのがうれしい」
「この人の成功に貢献できて誇りに思う」
「これぐらい自分に簡単にできることだ」
と思っていると、自分も楽ですし、相手も喜んで
受け取ることができます。
反対に、
「これだけ尽くせば、私と離れないでいてくれるだろう」
「これだけやっておけば、私のことをえらい人間だと思うはずだろう」
「これだけ我慢したんだから、相手も同じくらい我慢して当然だね」
「これだけあげたんだから、同じくらいのお返しが欲しいな」
と思っていると、自分は無理をしてしんどいし、
相手も受け取るのに複雑な気持ちですし、プレゼントというよりは、
責任として重くのしかかってくるのです。
ひょっとしたら、「自分はずっとこういう人間関係の中で
生きてきたし、周りもみんなこういう人だ」と言う人が
いるかもしれません。
そうなんです。人間は似たもの同士が集まるのです。
周りがみんなそんな人でも無理はありません。
でも人は変化します。もしあなたが、そんな関係の中で
息苦しさを感じ始めていたら、違う世界を覗いてみるのも
いいかもしれません。
さりげなく、助け合いをする人達。
ひきつった笑いをして、「すみません」と言わざるを得ない状況
ではなく、明るい笑顔で「ありがとう!」と言える環境。
決して大げさな助け合いはしないけど、自分も相手も楽でいれる環境。
最初は慣れないかもしれないし、あっさりしすぎて
物足りないと思うかもしれません。
でもしばらくすると肩の力が抜けてくるのに気づくでしょう。
ああ、こんなに楽して人と仲良くしていいんだ、と。